198号(201403) リストに戻る

惜別 ラストサムライ達

 弥生三月、吹く風はまだまだ肌寒いながらも、注ぐ日差しには明るさも感じられるこの頃です。それにしましても、安部首相の靖国神社参拝後の中国、韓国の日本バッシングは、依然として鳴り止みません。 そもそも、“中韓両国の国内事情や、政権の安泰を図るための日本非難”と達観するのが大人しい解決法かもしれませんが、これまで日本は、(往々にして)隣国への配慮や斟酌(しんしゃく)で自ら首を絞めてきたきらいがありました。隠忍自重する日本人の美意識も国運を狂わせかねません。やはり、しっかり主張すべきことは主張して後世に伝えるべく、積極的に戦略を練るべき時と思料いたしています。
 先日、NHK(BS)『小野田寛郎(ひろお)が語るルバング島と人生の真相』と言う大変興味深い教養番組が放送されていました。太平洋戦争終結後、約30年間もルバング島のジャングルで戦い続けた小野田少尉。「最後の日本兵」として帰国しますが、変わり果てた日本に絶望し、ブラジルに渡って牧場を営むことになります。番組は、戦前、戦中、戦後と激動の時代を生き抜いてきた彼にインタビューし、その人生の真相に迫るというものでした。聴き手は、私もファンであったルポライターで作家の戸井十月さん。(2005年放送の再放送番組。残念ながら、小野田さんは今年1月に、戸井十月さんも昨年7月にお亡くなりになりました。)番組の中で興味深かったのは、何故長きにわたって、終戦を知らずに戦い続けたのか...でした。「小野田少尉は、終戦の前の年(1944年)、比島に派遣され、ルバング島に残留、潜伏して諜報活動を行うよう上官からの命令を受けますが、1年を待たずして、日本は敗戦し終戦。不運にも彼の元には任務解除命令が届かなかった。(南方戦線では、終戦を知らずして戦後しばらく戦い続けた旧日本兵は相当数居ったようです。)1952年ごろになると、“戦争は終わりました、出てきてください!”と叫びながらジャングルの中を日本政府の捜索隊も歩き回りますが、米軍の謀略と疑い出頭しなかった。」
 「陸軍中野学校からルバング島に赴く際、軍の最高機密である(当時の)日本の国力及び戦力、戦術などはすべて正確に教えられていたようで、少尉は日本の敗戦色が濃い事も十分認識し、いずれ内地日本が戦地になり長期戦になる本土決戦を想定していたのです。日本は1945年8月15日に本土決戦無くして無条件降伏しますが、その後皮肉にも朝鮮戦争、ベトナム戦争が勃発してしまいました。その戦争の影響でフィリピン等の南方から、慌しく東や南に向かう米軍の飛行機や艦船を見て、まだ日本は頑張って戦争しているものと錯覚してしまったようです。結局、終戦の約30年後、上官にあたる元少佐がルバング島に赴き、直接小野田さんに残留命令解除を伝え、ようやく帰国します。」

 新幹線が走り、オリンピックも開催された日本は、まさに“ラストサムライの帰還”として迎えました。当然のことのように、彼には同胞である国民や日本政府から見舞金・慰労金が続々と贈られましたが、誇り高き彼は全額を靖国神社に寄付してしまいます。そんな彼の行為が軍国主義の復活だと揶揄する雑音に憤慨し、変わってしまった日本には居れないと、ブラジルに旅立ったのでした。その後は、ブラジルでの牧場経営のかたわら、日本で健全な子供達を育成する場である『小野田自然塾』を開いたり飛び回りました。
激動の時代の渦に巻き込まれながらも、それに翻弄されること無く自分の信念を貫き通した彼の凛とした生き方には、いまも多くの日本人が魅かれ、崇敬の念を持っているはずです。合掌。

平成26年3月10日 公認会計士 黒 沼  憲


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