日本を美しくする会-山形掃除に学ぶ会

 

鍵山相談役講話録

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2010年5月19日

第1回 『鍵山塾』 講演録

皆さんこんにちは。
 いま、ちょうどこの人数を拝見しておりますと、第1回目の日本を美しくする会の基となった会合が35人だったんですね。その人数で集まって、岐阜県恵那郡明智町という人口7,000人ほどの小さな町の公共駐車場のトイレをお借りして、大したことはないあり合わせの道具で始まったのが第1回目(の掃除の会)でございます。

 その時に、駐車場の管理人の方から「余計なことしなくていい、早くやめて出て行ってくれ」と、何度も言われました。そして私たちが掃除をしている最中に観光客が来ると、トイレを使いにくるとですねその都度私達はみんな外に出て、その方が用を終えて出て行くとまた始める、そんなことが、昨日のことのように思い出されます。
ささやかな会で始まったことが、今日、こうして日本中に広まって、それだけではなく、私は明後日からまた会長と一緒に行くんですけども、台湾も大変盛大な会になりましたし、ブラジルも、中国も、場所は方々転々といたしますが、必ずどこかで熱心に取り組んでくださる、そんなふうに発展してまいりました。
いま、やってきて良かったなと、つくづく思うんですね。あのとき、もしかですね、駐車場の方に気兼ねをして、やっぱり無理だからやめておきましょう、ということでやめていたら、今日、日本を美しくする会というのは存在していなかったかも知れない。もうちょっと遡ると、私が田中社長(会長)にお目にかかっていなければ、この会は、まず存在していなかっただろうと思います。

 長年の間、私のやってきたことは、日本では
        「糠に釘」(板書)
と言いますけども、私は、糠に釘よりもっと大変だった。この空気に釘を打つ、宇宙空間に釘を打つようなことを、ずっと続けてきました。
 人からずいぶん嘲笑されました。馬鹿にもされました。なんとくだらないことをやっているのかというふうに面と向かっても言われましたし、陰口はさんざんに言われています。でも、私自身は、必ず私がこの空中に打ち続けている釘が、いつかは止まるときがくるということを、自分では信じておりましたが、誰にも信じてもらうことはできませんでした。
でも、結果として、50年経つ今日、見事に空中に打っている釘が止まっていた。それが、日本を美しくする会であり、ブラジル・サンパウロの会であり、アメリカであり、中国であり、台湾の会である。台湾は、日本を超える勢いで、ものすごく熱心です。経済界も教育界も、いろんな階層の人達が集まって、台湾全土をゴミがない国にするという熱意がうかがえます。
見事に、宇宙空間に打ってきた釘が止まってきたということを、今つくづく思います。田中社長には本当に私は感謝しております。

 さて、急に話が変わるんですが、つい最近、私はこの「すごい言葉」という本を買ってパラパラと読んでいるうちに、こういう言葉に出会いました。フランスのドゴール大統領、シャルル・ド・ゴールの言葉ですね。
 「政治家は、心にもないことを口にするのが常なので、それを
  真に受ける人がいると、びっくりする。」 (笑い)
これをドゴールが言ったということですね。1,962年にふと漏らした言葉らしいですが、あまりにも正直な感想という感じです。
“口と心の間の距離が、一番長いのが政治家というものらしい”
という注釈が付いています。
 心と口の間の距離というものが、ものすごく遠い。心にもないことを言う。最近の状況を見ると、皆さんもよく思い当たることがたくさんあり、私がいちいち説明するまでもないことでございますが、その心にもないことを言う、心と口の間に距離がある、とんでもないことを次々と発言をする、まさにそんなふうになっております。

 今日、私が話をする主題は、政治の世界だけのことではありません。いま、日本中全部がそういう風潮になっている。
その結果どうなっていったか……。隣の人との距離が、砂漠の中に住んでいるかのように距離がある。
いま山間地に行きますと、ほうぼうにもう住んでいない家が増え、家が残っていてもみな人が住んでいなくて、隣の家といったってとんでもなく遠くになっている。アメリカの中西部なんかに行きますと、それこそ、この家と向こうの家では遙か彼方という状態です。
では、住宅密集の東京はどうか。東京のように隣がくっついて、壁がくっついて住んでいても、その距離はどんどんどんどん遠くなってきていますね。何百キロも離れて住んでいるかのような状況になっています。
私も、今住んでいる家は13年目になりますが、もしか隣の人と玄関を出たところで会えば判りますけれども、ちょっと離れたところで会っても、もう判らない。どういう人が住んでいるのかが判らない。
右隣の人なんかは、全くどこで会っても判らない。
つまり、何が言いたいかというと、人と人との縁がどんどん薄れてきた。そのことによって、ものすごく大変なことが起きてしまっていることを痛感しているんですね。

 では、その元は、どういうことから始まっているのかというと、
孔子が
   『 遠慮なき者は 近憂あり 』 (板書)
と、言い残している。
「遠慮」遠きをおもんぱかる、遠くを想うというのは、未来ということだけではなく過去にも遡って、広く深く、いろいろ物事を考えない人は、必ず近くに「憂い事」が起きる。ということを警告している。もう2,500年も前に、こういうことを言っているんですね。

 まさに、今の日本の状況がこれですね。
いつも目の前のこと、自分のこと、ですね。自分のことと目の前のことしか考えない。先のことも、後のことも、周りの人のことも何も考えない。そのことから、「近憂」、つまり身近な憂い事というようないろんな問題が起きる。まさに、孔子が警告したとおりの世の中になっているんですね。
私は、早くから、このことを非常に心配しておりました。
このままでいったら、やがて日本は犯罪国家になってしまう。日本は世界一犯罪が少なくて、争いごと、人との争いを好まない民族だったはずなんですね。
これが、やがて壊されてしまうということを心配していたんですけども、私が心配をしたより早く悪くなってきています。現に、いま起きていることを、いちいち私が並べ挙げなくとも、皆さん方が新聞・テレビ等の情報を通してご案内の通りで、世の中が大変なことになっています。

 親やおさない子供を平気で殺してしまう。それも珍しいことではなくなって、あっちでもこっちでも起きている。今まだ殺されてはいないけれども、それに近い状態に置かれているような子供もいる。
 そして今度は、子供が親を殺す。おじいちゃんおばあちゃんを殺す。兄弟を殺す……。
 昔だったら、一回起きたら10年も人の話題になりそうなことが、もう毎日のように起きている。つまり、「近憂」が次々と頻発しているという状況ですね。
 その元は、私は学者ではありませんから論理的に分析をして皆さんにお伝えすることはできませんけれども、間違いなく、起きている原因は、人間が自分のことしか考えない。自分以外と言ったらせいぜい家族のことくらいですね。そして、目の前のこと。先のことも過去のことも考えない。このことがもっとも大きな原因ではないか、そう思うんですね。
 このことを直していかないと、いかに刑罰を厳しくしても、国家の法律を見直したり手直したりしても、絶対にこれだけでは食い止めることはできない、そう思います。
 そこで、この悪しき風潮を食い止めるために、先のこと、周囲の人のことを考えられるようになっていきたい。そうしなければ、絶対にこの国はもたないということを、まず肝に銘じたい。

 もちろん、いまの日本は経済的にも大変です。もしかすると、3年後にはギリシャと同じようになってしまうという警告を、私も聞いております。本当にそうだと思います。
 ギリシャはまだ、ドイツやフランスやほかの国で助けることができます。IMFやヨーロッパの各国が協力すれば、あの位の規模だったら救うことができるんですけども、日本の経済を救える国はどこにもないんです。世界中どこを探したって、日本の、この規模の経済破綻を救える国はない。IMFなんかは、日本がIMFを支えることができたとしても、IMFが日本を支えることは到底できない。

 ですから、そういう意味で経済破綻もこれは大変な、重大な危機に陥っていることではありますが、それ以上に、私は、政治破綻、心の破綻の方がよっぽど深刻である、そう思うんです。
 それは何故かというと、経済の方は、心の立て直しさえできれば、割合簡単に立ち直ることができると思うんです。それが、今のままで心の問題を放置しておきますと、いくらお金をつぎ込んだり、国債を多額に発行してそこに投入したとしても、それは何にもならない。ただ債務を増やすだけですね。救済とはほど遠いことになってしまうと思うのです。

 ですから、私の議論は、経済の問題より心の問題を立て直した方がよっぽど確実で早く、そして将来に禍根を残さない、ということになるのです。
 経済の問題について、私が一昨日、月曜日の夜杉並区長の山田さんの話を聞きましたら、いま子供手当てだとか家族手当てだかがいろいろ出ているけれども、これは「だれが払うんですか」と聞きますと、みんな「それは税金でしょう」と答えるというんですね。「税金じゃないんです。あなたの子供やあなたの孫がはらうんですよ」と言うと、皆愕然とするというんですね。
 皆税金の中から払ってるんだと思っているけれども、それはあなたの子供や孫が払うことになるものです。それでもあなたは受け取るんですか、ということを、山田さんは言って歩いているそうです。
 このように、いかに日本経済が大変であっても、貰えるものは貰っておこうという、そういう考え方でいる間は、日本の国はいくらお金をばらまいても良くならない。むしろ、ばらまけばばらまくほど悪くなっていく。そんなふうに私は思うんです。
 で、元の話に戻るわけですが、「縁」ですね。未来のこと、あるいは過去のこと、それから横軸でいえば周囲の人達、日本の社会、国家、世界の人々…、というふうにですね、広く、深く物事を考えるように変えていかないと、この国はおかしくなってしまうとつくづく思っております。

 また、話題が変わりますけれども、インド「独立の父」と言われるマハトマ・ガンジー。この「マハトマ」というのは名前ではないですね。尊敬する、尊称の言葉です。ですから、ガンジーの名前は知りませんけれども、人々はみんな尊敬をしていまだにマハトマ・ガンジーと呼んでいます。
 この人が、社会的七つの大罪、七つの罪というものを常に言い続けています。
○ 原則なき政治
○ 道徳なき商業
○ 労働なき富
○ 人格なき教育
○ 人間性なき科学
○ 良心なき快楽
○ 犠牲なき(伴わない)宗教  (以上板書)
 この七つを「七つの大罪」と言っている。
まだほかにもあるんでしょうけども、少なくとも、この七つのことに反しない生き方をせよ、ということを、ガンジーは繰り返し、いろんな本や話の中にだしています。
 いま、この現代の日本に当てはめてみますと、実によく当てはまりますね。
  道徳なき商業 …… これも言ったとおりです。
  労働なき富  …… サブプライムなんかその最たるものですけども、アメリカのサブプライムの批難はできません。
日本だって労働なき富を求めて、そして高額なお金を手にしている人がいっぱいいるんです。
  人間性なき科学 …… それをやることによって、人間性をかえって壊してしまうようなものもたくさんありますね。あのゲーム機なんていうのは、まさに子供たちを壊している。どんどん進化しているけれども、一向にこの世の中に貢献しない。むしろ子供の心を壊している。破壊し続けていると言うべきでしょう。
  良心の伴わない快楽
  犠牲の伴わない宗教
これもその通りだと思います。
 そこで私は、何とかこのガンジーが教えてくれた七つの原則に反しない社会にしていきたい。そうなることを待っていたのでは、自然にそうなるわけではないのだから、それに気づいた人が創っていかなければならない。このように私は思うんですね。

 じゃあ、そのことを急に大きく変えることができるかというと、なかなかそうはいかない。でも間違いなく、大勢の人達が、方々でともしびをともし、そのともしびを炎にして大きくしていけば、必ず変えることができると私は確信しています。
 今日までの間に、荒廃し、誰も手がつけられなかった学校が、ずいぶんたくさん健全な学校に立ち直っています。

 特に、この掃除を通して最も私の印象に残っていますのは、広島の双葉中学校という学校ですね。
 もう誰も手をつけられない、もはや学校とは言えない有様で、出入りは自由、学校の施設はことごとく壊され、授業なんかできるものではない。入学式も卒業式も、体育祭も、学校行事は何一つできないという状況でした。学校のトイレは全部壊されていて、トイレは外で用足ししてくるという、そういう学校でした。
 それが、3回の連続した掃除によって、見事に変わった。正常化した。それだけではないんです。この学校が存在する地域というのは、広島市東区といって広島市でも問題地域なんですね。
行政はというと、区役所の職員は住民にしょっちゅう殴られる。殴られても110番したりすると後の仕返しが怖くて、みんな泣き寝入りをしていた。そういう地域です。
その地域にあった双葉中学校が、見事に立ち直ったところですね、なんと5万世帯12万区民の意識が変わった。行政負担がガターンと下がった。なんと東区の区役所は近隣の区役所の仕事まで引き受けるようになった。そのくらい大きな変化が起こった。しかも、双葉中学校が良くなったら、道路を挟んだ向かい側にあった高校は、こちらは何もしないのに良くなった。これは事実です。
地域の住民がどのくらい変わったのかというのは、年1回、区役所の前に大きな広場がありまして、そこでお祭りがあるんですが、毎年、そのお祭りが終わった後、区役所の職員が7〜80人出て、あくる日大掃除をしますと、それはそれは膨大なゴミが出ていた。
ところが、双葉中が立ち直った翌年のお祭りの後、同じような催しだったのに、ゴミは全く落ちていなかった。
びっくりしたのが当時の区長、山口とみひささんですね。「本当に奇跡が起きた」というふうにおっしゃったんですけども、これは奇跡ではない。一生懸命やった結果に起きたことで、いきなり奇跡が起きたわけではない。

 スポーツでも何でもそうですが、ただ奇跡を願っているだけでは、何も起きないんですね。一生懸命やっている課程において起きたことが、奇跡のように見えたり思えたりするのだろうと思います。
 まず大前提として、世の中を良くしていこうという目標があり、そのことに対して一生懸命に取り組んでいく。その一生懸命さに神様が奇跡を与えてくれる。私はそのように思うわけでございます。

 幸いにして「日本を美しくする会」を通してご縁をいただいた皆様方は、この奇跡を生み出すだけの力を持った、そういう心を持った方々です。
 これまで、各地でいろんな奇跡を起こしてくださいました。無理じゃないかと思われたことが、ずいぶんと良くなりましたね。
 山形でも、中学生が自分の出身母校の小学校に行って掃除をしてくるとか、あるいは小学生、中学生が卒業間際に母校の掃除を行って、後輩のためにきれいな校舎を、その心を伝えていこう。そういうことになりましたし、長野から始まった「お掃除サミット」。 今年は8月6日に実行されますけれども、1校から8人、10人と一つの学校に集まって、自分の学校ではどういうことをやって清掃活動をやっているかを発表し合い、お互いに学び合うという掃除サミット。それから10年前にスタートいたしました「便教会」ですね。
 これは、いち高等学校の先生が立ち上がり、このまんまの教育ではだめだ。ただ単に、知識や技能だけを教えていたんではだめなのではないか。そいうことで立ち上がって、トイレ掃除を通して生徒たちの指導方法を変えたわけです。それによって何が変わったか。
 もちろん生徒も変わりましたけど、それをやったご本人が一番変わりました。

 私は、この便教会を立ち上げた高野先生とは、一番最初の時から知っていますが、最初にご縁ができたころ、高野先生は教師という仕事がもうつまらない、希望が持てない、そんなふうに思っていたように感じました。カリキュラムに沿ってやるだけで精一杯。そんな指導方法にも不満があるし、世の中に対しても暗い見方をしておられた。

 ところが、掃除の会、掃除に学ぶ会に来ることによって、まず自分の心が変わる。そして、自分が変わっただけでなく生徒たちをも巻き込んで、(掃除を)やっているうちに生徒たちがどんどんどんどん変わってくる。自分の受け持つ学級が変わる。自分が受け持つ学年が変わる。そのくらい大きな効果がもたらされた。
 このように、普通だったら、ただ単なる技法や技術だけでいこうとしたら、絶対不可能であることが、日本を美しくする会、掃除に学ぶ会の活動によって、現実に奇跡とも言えることがいま起き始めている。
 だとしたら、この奇跡を、日本中の各地で巻き起こし、日本を変えていく大きなうねりにしていけないかと、私は考え願っているところです。

 私も、もうすでに歳が、この8月で、いま5月ですからあと3ヶ月足らずで、77歳になります。
 これからあと何回活動できるかわからないのですけれども、それでも、歳だからとか、ちょっと身体がしんどいからとか、そんなことを言っている余裕はない。日本の国の行く末を想い、私の命のある間、手足が動く間は、少しでも世の中を良くして次の世代に引き継ぎたいそう思うんですね。
 残念ながら、私が生まれたころより日本は悪くなっている。もちろん、物質的には恵まれておりますけれども、人間の心という意味では間違いなく悪くなっていますね。

 私の家の近所でも、空き巣に入られて被害に遭った人もおりますし、私の家内も、ひったくりに遭ってバックを取られ、お金を盗まれたんです。うちはそんな大金を持ち歩いていませんから、盗った方もがっかりしたと想うんですけども、そうしたことが日常茶飯的に起きているんですね。
 いま駅に行きますと、どこの駅にも警察の方が立って見張っていなければいけない。監視カメラがそこら中にある。今私は自由が丘というところに住んでいるんですけれども、監視カメラがあっちこっちに設置されている。そうしなければ住めない、そんなふうになっている。このままいけば、とても安心して住めない国になってしまうと思うんです。
 そこで、皆さん方とともに手を携えて、この国を、この社会を良くしていきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

 時間です。これで終わります。ありがとうございました。

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