日本を美しくする会-山形掃除に学ぶ会

 

鍵山相談役講話録

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2010年7月14日

第2回 『鍵山塾』 講演録
於:東京

皆さんこんにちは。よろしくお願いします。

 むかし、紀元前にディオゲネスという哲学者がギリシャにおりました。この人があるとき、今日のようにいい天気で明るい日中に、ローソクに灯をともして、こうやって何かを探しているんですね。
 あんた何やってんの、何を探しているんだい。しかもこんなに明るいのに灯をともして。と聞くと、「私は人を探しているんだ。」ということを言ったんですね。要するに、ディオゲネスという人は、人間はたくさんいるけれど、本当の「人」がいない。だから私は、本当の人を探して歩いているんだ、ということを言いたかった訳ですね。

 今の日本もまさにそうですね。日本だけでも1億2,600万人位おります。世界では、実際には65億人を超える人間がいる訳ですけども、本当の人物、人格者、人間と言われる人は非常に少ない。
 日本は、貧しい国でしたけども、素晴らしい人格者が非常に多い国でした。だから、世界一治安が行き届いていて、人と人との争いもなく、とてもいい国で、世界から来た人達が、みんなそのことにびっくりして、こんな国があったのか、こんな民族があるのかといって賞賛したんですね。

 ところが、残念ながらわずか半世紀、50年位の間にこれが壊れてしまいました。今は一つの扉に二つの鍵をかけたり、一個人の家に警備保障を入れたりして、非常に治安にお金をかけていますが、それでも安心できないでいます。警察官も増えました。駅にはいつもお巡りさんが立っています。電車の中も、しょっちゅう警備の人が歩いているというふうになりましたけども、一向に良くならない。むしろ悪くなっていますね。
 それから、日本には立派な病院がたくさんできました。製薬会社もすごいですね。売上はどんどん伸びておりますけど、なかなか病気は減らないということも事実です。

 といったことなどから、やはり、もっと違う生き方をしなければいけないのではないか、と私は思っているわけです。

 平成5年に、糸川英夫(1912〜1999)というロケット博士に最初にお会いして、お亡くなりになるまでに4回、長野県のご自宅にお訪ねしてお話を伺ってまいりました。大変立派な方で、ロケットについては世界的な権威ですね。
日本で初めて、昭和30年に、わずか20何センチかのペンシル・ロケット、えんぴつ1本くらいのロケットですが、これを飛ばしたのが始まりです。それ以降、日本のロケットの権威として、日本だけでない世界的な権威として名を為した方ですね。
その以前は、戦時中、アメリカやイギリスが恐れた「隼(はやぶさ)」という戦闘機を設計したのがこの糸川英夫先生です。それから、「鍾馗(しょうき)」というとても優秀な飛行機も糸川博士が設計したもので、とりわけ「隼」といえば、アメリカもイギリスからも恐れられた戦闘機ですね。どのくらいすごいかというと、隼1機で、相手が6機までだったら負けなかったというんですね。そのくらい優秀な戦闘機を設計されていた方です。

 この方から、いろいろな話を教えていただきました。基本的にどういうことを教えられたかというと、日本人は、もっとイスラエル人に学ばなければならない。こういうことを言われたんです。
 それはどういうことかというと、イスラエル人はご承知のとおり、1,900年近く国家もなくて世界を転々とし、方々を歩きまわった民族ですからね。しかも、どこの国でもユダヤ人というのは土地が買えない。いくらお金を出しても買えない。そういう「掟(おきて)」があった訳です。そのために、ユダヤの人達は金融業を行うようになって、世界的な金融の力を持つようになったんです。

 急に話が飛びますけど、日本が日露戦争に勝ったのも、ユダヤ人のお陰なんですね。
それはどうしてかというと、日本の高橋是清が、戦費として必要なお金の金策に当たっていたわけですが、どこに行っても貸してもらえなかった。その時に、ユダヤ人が、名前は忘れましたけどそのユダヤ人が高橋是清が必要としたお金を全額出してくれた。そのお金で戦費を払い日露戦争を闘うことができたというのです。
それ以降、日本の皇室からそのユダヤ人に、毎年お礼のあいさつをしていた。戦時中途切れていたのですが、戦後またそれを復活されたとき、受け取った人が、何で日本の天皇家からお礼状が届くのか分からない。で、理由を聞いたら、実は明治時代にこうしてあなたの先祖にお金を借りることができて、日本は戦争に勝つことができた。そんなお礼状であると知って驚いたという記事も残っています。
 それではそのイスラエル。私も平成5年に一度だけ行ってまいりました。
 三重県の津に、赤塚さんという方がいらっしゃいまして、その方が糸川博士から「どうしてもイスラエルは訪問すべき国だから是非行きなさい。」というふうに言われた。赤塚さんが、糸川博士から言われたときは12月で、しかも年の暮れで正月にかかる時期でしたが、いきなり行きなさいと言われたんですね。それで、赤塚さんは断ったそうです。
 年の暮れだし、2週間も会社を開けておくことができない。もう一つ、友人の結婚式があってスピーチを頼まれている。その結婚式を欠席することはできない。この2つの理由を挙げて断ったそうですが、糸川さんは、「あなたが2週間いなくてつぶれるような会社だったら、どうせつぶれるから(笑)、それはたいした会社じゃないから行きなさい。」もう一つ、結婚式の件は「あなたがスピーチしたって、誰も覚えちゃいないから(笑)、そんなつまらないスピーチならしなくてもいい。」そんなふうに言われて行ったんですね。本当に行って良かったと言っておられました。
 私は、赤塚さんが2回目に行くときに、一緒に連れて行っていただきました。ユダヤという、いわゆるイスラエルという国の見方がずいぶんと変わりました。

 それは、得てしてイスラエルという国は悪者にされていますよね。イスラム圏を相手にやりたい放題のことをやって、それでパレスチナ人を苦しめている。そういう面だけが強調されている。何でそんなことをしなければならないか、ということは誰も言わないわけですね。そのために、結果だけをとらえて非難をされる、ということが今も続いているわけです。行ってみて、いろんなことを学んだことによって、イスラエルに同情する部分が多くあります。

 むかし、イスラエルという国は、ローマに攻められて紀元70年に壊滅させられた訳です。神殿も壊された。そのとき976人の人たちが残ったそうですが、そこは高さ400メートルくらいの四方がガケという要塞に篭城する形で残った。
 これをローマの軍隊が攻めようとしたが、登り口がない。そのため、円筒形のガケの上のようなところにある要塞を攻めあぐねた。そこでローマの軍隊は、下からずっと土を埋めて坂道を作るんですが、その坂道をユダヤ人に埋めさせるわけですね。
 自分の同胞を攻めるその道を、ユダヤ人は埋めさせられていくわけですが、もう明日、いよいよローマの軍隊が攻め込んでくる、これは
紀元73年のことですから、3年間、要塞で頑張ったわけです。そして、明日、ローマの軍隊が攻め込んでくるというときに、全員自決するわけですね。
 まず、女性、子供を殺し、2人ずつ組になって相手を殺し、相手を殺しとやっていって、最後の一人が自分で命を絶つということをした。ローマ軍は、いよいよ今日こそはいままでの怨念を晴らしてやるということで乗り込んだら、全員自害していた、というわけです。
 しかしこの時、水は何万トンも、食料は10年分位も残っていた。
立て篭もるだけだったら、まだまだ頑張れたのかも知れませんが、紀元73年にイスラエルという国、つまりユダヤ人は完全に国を追われるということになります。
 それ以来、ずーと世界中を転々として歩くこととなり、国家を持たないことの悲惨さというものを、いやというほど味わされる。特に、18世紀ころになりますと、ユダヤ人狩りという、ユダヤ人を目の敵にして殺す、そういう目に遭っています。
 その後は、皆さんもご承知のように、特に旧ソ連は、徹底的にユダヤ人を弾圧しました。ドイツに至っては、ホロコーストと呼ばれるように、600万人もの人たちが収容所で殺されることになります。

 その位の弾圧を受けて、この国は二度と立ち上がれない、というふうに思われていたわけですが、1897年、テーオドール・ヘルツルという人が、必ず50年後にイスラエルという国は再建すると言ったんですね。その時、あなたは何を言っているのか。そんなことはできるわけがない。と、さんざん言われたんですけども、必ずできると主張し、1897年にスイスのバーゼルというところで、シオニスト、要するに、イスラエルの国をもう一度再建するという人達の会議を開いてスタートしました。
 それまでも、各地でいろんな人達が活動をしてきたわけですが、国の再建などということは、なかなか実現できるものではないと思われていたんですね。
 ところが、1948年5月14日、ベングリオンが率いるユダヤの人たちが、それこそボートに毛が生えたような小さな舟、これは今でも残っているんですが、その舟に分乗して地中海から上陸し、そして建国宣言をしたんですね。1948年5月14日は、昭和23年のことです。日本はまだ、戦後で大混乱している、そういう時期です。
 そのときに、今のパレスチナの人達はどうしたかというと、すぐに地中海に叩き込んでやるが、とりあえずみんなちょっと避難していようということで避難したんですね。そしたら、そこに住み着いたベングリオン達がイスラエルの旗を立てて建国宣言をしたと言う訳です。
 史上、滅びた国が再び興きたというのは初めてなんですね。壊滅した国が、再び建国を図って成功したという例はありません。
 それまでの経緯からも、世界の各地で苦労してきたユダヤの人達は、いかに国家がないということが大変なことか、そんな悲惨なことを世界中で味わいながら生き繋いできたわけです。
だからこの国を、再び紀元73年のような「国家の壊滅」という事態を招いてはならない、ということで、国民全体で「国」を護っている訳です。

 その様子を、私はいろいろと見てまいりました。すごいもんです。だいたい、イスラエルという国は砂漠の国でして、国土の70%が砂漠です。水がない。雨が年間50ミリしか降らない。事実上雨が降らないのと同じですね。年間の雨量ですから。そういう中で、わずかばかりの水を溜め、それを植物の根本にタラッ、タラッと垂らして野菜や果物を栽培している。とうとうそれで砂漠を農地に替え、だんだんだんだん農地を拡張し、いまや、作った野菜をヨーロッパに輸出するまでになっている。砂漠で作った野菜です。

 それに引き替え、日本はどうですか。これほど優れた農地を持っていながら、消費食料全体の67%をよその国から輸入して食べている。大違いですね。
 片や砂漠で、およそ農地としては不適なところで作ったものを輸出までして生きている。此方日本は、世界一農地として優れた土地を持っているのに、輸入に頼りきった食生活をしている。
 日本の農地は、長い間にわたって広葉樹が花をつけ、落葉し、この落葉が積み重なって世界にはない「腐葉土」を持つに至る。そういう恵まれた環境にありますよね。
 いま、ある意味値段だけに目がいって、安いからというだけでよそから輸入して食べてしまう。安さを最優先にしてしまう。

 このことを、早くから糸川博士は懸念しておりまして、日本人は、あのユダヤ人の逞しさを学んで、そして日本の国を自分の手で守るというふうにしなければいけない。そのことを、ずっと本にも書いておられますし、話もされておられました。
博士のところに行くと、ほとんどその話です。ロケット博士ですけど、科学の話はほとんどされずに、国家というものが滅びるといかに悲惨なものであるか、ということをイスラエルから学びなさい。そして、同じような悲惨な思いを日本人がしないようにするためには、学んだことを実践に活かしなさい。行くたびにそれを言われました。
 それで、とてもあんな偉大な人の真似はできないけれども、自分の持てる能力の中でだったら、何とかやれることをしようと取り組んできたのが「掃除」なんですね。
 糸川博士という人は、天才といわれることが非常に嫌いな人でした。私は努力の人、天才ではない。私は、何事も努力によって成し遂げてきた。そして、人のやらないことをやってきた。人と同じことをやるんだったら、私がやらなくてもいい。という信念で、63歳になってから「バレー(ダンス)」に取り組んだり、チェロ、バイオリンなんか40何年かけて素晴らしいバイオリンを作り上げたり。40数年もかかったんですね。そのくらい、努力を重ねた方です。

 博士は、面白いこともよく言われました。例えば、新聞。新聞に載ってる記事は、あれは真実ではない。あれはそれぞれ書いた人の意見に過ぎない。私も本当にその通りだと思います。最近の新聞を見ても、その社の意見だったり、デスクの意見であったりする訳ですね。
 糸川博士は、新聞でただひとつだけ信用できることがある。それは「日にち」だけだ(笑)。と言ったんですね。それは確かに信用できる、というか間違いないですよね。それ以外は、ただ単なる意見に過ぎないから、それを真実だと思って信じてはいけない。と言われました。本当にその通りです。
 最近の世相にしても、政治、経済にしても、いろんな意見が出ていますが、少なくともこれが真実だと思えるようなことが載っていない。糸川博士がおっしゃっていたことは、本当だなとつくづく思います。

 博士は、イスラエルに行って、同国から、是非イスラエルの国民になってくれと頼まれたんだそうですが、私は日本を愛する。だから、日本のために尽くしたいと言って鄭重にお断りしたのだそうですが、たびたびイスラエルを訪れ、向こうの学校にも行かれたようです。
博士は、ヘブライ語もしゃべられるし、書けるし、すごいですね。
 ある小学校に行ったとき、こんな話をされた。
「手」というものは何のためにあるのか。これは、もらうため
にあるのではない。何かをもらい受けるためにあるのではなくて、
人にあげるために、人を助けてあげたり、人に物をあげるために
あるものだ。
そういうことを、ヘブライ語で黒板に書いて教えた。そういう逸話も聞いてまいりました。このように、ものすごく高いレベルの科学知識を持ち合わせている一方、小学生にも分かりやすいお話ができ、教えることができる幅の広い方ですね。

 皆さんもご承知のように、ついこの間、宇宙を60億キロ、7年間かけて飛び続けて日本に帰ってきた「はやぶさ」、あの技術も、元は、糸川博士のことから始まっているんですね。
 何と、地球から3億キロ離れたところに「イトカワ」と名前のついた星があります。3億キロ離れているんですね。しかも、540メートルしかない星に地球から行く訳ですから、それは、日本から撃った鉄砲で、ブラジルにいるハエを撃ち落とすくらい、いや、それ以上難しいことだと書いてありましたけど、それはそうでしょう。
 3億キロ離れたかなたにある、わずか540メートルしかないところに行って、着陸し、そこの物質を掴んで飛び立ち、それを持ち帰り再び地球に帰ってくる。その後の様子や事情についてはご承知のとおりですが、もうだめだと思うたび、回復して回復して、とうとう帰還した。
 外側の機材は、大気圏突入時には秒速12キロメートルというスピードで落ちてくるために、摩擦熱で全部溶けてなくなり、そして最後のボックスだけが手に入ったわけですね。

 このように、日本は素晴らしい力を持っている。アメリカもソ連も、あれだけの国家のお金をかけながらできなかったことを、日本はやるだけの力を持っている。
 そこで私が何を言いたいかといいますと、日本は資質としても素晴らしいものを持っているにもかかわらず、教育のうえで、日本人は悪いことをした、悪い民族だと、なぜか悪い面ばかり強調されてしまっている。子供たちも、自分たちは悪い国に生まれて、悪い国に育ったというそんな教育がはびこっているように感じます。これでは、自信のある、誇りを持った人になることはできない。
 そこで私は、皆様方のように率先して街頭清掃や、学校のトイレ掃除や、便教会や、そうしたいろんなことを通して、子供たちに日本にもこういうちゃんとした考え方を持った大人がいるんだという姿を、しっかりと示していただきたい。
 これが私の、今日の皆さんに対するお願いでございます。

 先般、私は、山形県の東根第一中学校というところに、黒沼さんのご縁で行ってまいりました。その学校の「矢口あかり」さんという、今3年生になった女生徒が、学校を良くしたい、きれいにしたい、だから何とかしてほしいという手紙を寄こされたんです。私の掃除道という本を読んで、この人に頼んでみようと思って、一生懸命、手紙を書いてきたんですね。

 そのお手紙に対して、私の方からご返事したことからだんだん話が具体化していって、今日お見えになっている山形掃除に学ぶ会の黒沼さんの大変なご尽力もいただき、とうとうこの間、7月4日でしたかね、何と400人も集まって会が開かれました。
 それはそれは汚れも十分で、相当やり甲斐がありましたが、一人の女生徒の願い、希望を叶えてあげてよかった。ものすごく自信をもたれたと思います。本当は、もっと希望者が多かったらしいですね。ずいぶん断らざるを得ないほど応募者があったようですが、ずいぶんと断って400人ですから、いかにすごいかですね。

 あかりさんはとてもいい少女です。日本にはまだまだこんな素晴らしい少女がいるのかということを知りまして、本当に嬉しかったです。
一方、せっかくこうした少年少女がいるのに、その少年少女の心を傷つけるような社会であることが、私にはとても残念でならないのです。
いろんなこと、気がついていることもあるし、気がつかないことでやっていることも含めて、ものすごく子どもたちが傷ついています。だから、小学校、中学校のときには天真だった生徒が、だんだん大きくなって社会に出ると、とんでもないことをしたりするようになるのは、やはり大人の責任だと私は思うんですね。

 ということで、どうか皆さん方のお力で、子どもたちの期待を裏切らない、見本になるような、お手本になるような生き方をして、あぁ、世の中にはこんな大人もいるんだ、ということを子どもたちに示していただきたいのです。これが、私の皆さんに対するお願いでございます。
 お陰さまで、方々で実践してきた「会」によって、現実に、具体的にいいことが起きておりますね。ここで手を緩めないで、さらに皆さんで高めていっていただきたいのです。
 お集まりいただいて、ありがとうございました。よろしくお願いいたします。

                             了

◎ 講演のすぐ後、山形のテレビで報道されたニュース特集
  「山形掃除に学ぶ会の東根市立第一中学校大会」の様子を録画したDVDを、参加者全員で観賞
◎ 同大会の鍵山相談役の「講評」DVDもみんなで観賞

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