日本を美しくする会-山形掃除に学ぶ会

 

鍵山相談役講話録

全一覧へ

2010年09月15日

第3回 『鍵山塾』講演録

 皆さんこんにちは。

 いま中島社長から「いつも元気でいるとは限らない」(笑)発言などもありましたが、健康に注意しながら頑張っていきたいと思っていますので、よろしくお願いいたします。

 掃除をすると、とても良いことがたくさんありますね。これは間違いないことですけど、特に掃除をするとチームワークができるということを、私はいつも感じるんです。
 例えば、今日初めて会った人が、大勢一つの会場に集まって、わずか2時間から2時間半後に体験発表しますと、今日一緒に掃除をした人たちの間には、それぞれ年代差もあれば職業の差もある。そうした様々な差が大きくある中で、ちゃんとしたチームワークができている。その後の昼食会なんかでは、昔からの知り合いのような、時には家族よりも親しいような間柄になる。
 これには理由がありまして、掃除をしていると、自分のありのままの姿を見せることができる。それは、得意なこともあれば、不得意なこともありますよね。その得意なことも不得意なことも、すべてありのままの姿を人に見てもらう。そして、人様の、同じチームの方々のそれぞれの得意なこと不得意なことを、みんな見せてもらえる訳です。そうしますと、心がずっと寄ってくるんですね。

 反対に、自分の得意なところは見せるけれども、不得意なところは隠しておこうとか、分の悪いことは人に知られないようにしようとか、人間は必ず「鎧(よろい)」を着たようになっていくんですね。
 そこに親しさというのは表れない。これが、掃除によって最もすぐに効果があって、しかもいつまでも持続して、とてもいいことだと、そう思っています。

 まだありまして、掃除をすると、いいことがあるというのは、本もたくさん出ていますね。中には、掃除をすると儲かるとか、そういう手の本もあります。しかし、そんなことは、私は皆さんに申し上げることはできません。

 そんな、形になるものではなしに、形がなくて、でも形があるものよりさらに大きな成果というか、そういうものが得られるのが掃除ではないかと思いますね。

 これからどんどん寒くなります。時には、足の裏がコンクリートの上にピタッとくっついちゃって、歩こうとするとバリッと足の裏が剥がれてしまいそうな、それくらい寒いところもあります。水の中に足をいれると、暖かいと感じる。本当は凍る寸前のような冷たい水なのに、それでも、水の中に足を入れて温かいと感じる。そんな寒さの中もあります。
 また、今年の夏のように、何もしないのに汗が出てくる風通しの悪いトイレの中で、汗だらだらになってやっていることは、少しも楽しいことではないんですけども、その苦しかった、寒かった、暑かったという体験を通して得られたものは、もう、何ものにも代えられないことがあると思うんですね。

 フランスの人で、サランという人が、
 「ロープウェイで山に登った人は、歩いて、つまり「登山」で苦しい思いをして山に登った人と同じ太陽を見ることはできない。」
と本に書いておりました。

 太陽が二つある訳じゃない。太陽は一つなんです。その見方が違うんですね。ロープウェイで簡単に骨も折らずに頂上に行っちゃった人は、同じ太陽を見ても、骨を折って、さんざん苦しい思いをして登ってきた人と、その太陽は同じようには見えない、こういうことを言っている訳です。つまり、体験、実践というものがいかに貴重なものであるか、実践を通して分かる、そういうことがありますね。

 先ほど田中会長が、神社の後ろから朝日が射してきたときに、神社が神々(こうごう)しくなった、という話がありました。別にその神社が昨日建て替えた訳ではない。前から、ズーと前から同じ建物です。環境も同じ。にもかかわらず、田中会長がその神社を神々しく感じたということはどういうことか。
 あの「枝ノ木」というところは、雪は少ないんですけども、とっても寒いところです。私もよく知っていますけど、夏でも中央線でトンネルを越えますと暑い日でもヒヤッとするんですね。トンネルを越えて向こう側に出ると、空気がヒヤッと感じるほど温度が違うんです。つまり、相当寒い訳ですね。その寒い中で、一人で誰の支援もないままに、毎日毎日神社の清掃をやってこられた。
 その体験を通して、今までと同じ神社でも神々しく感じたということでしょう。
 ロープウェイで簡単に登った人は、骨を折った人と同じようなものは見られない、こういうことだと思うんですね。

 今日は阿部さんが、ホワイトボードを気を利かして消していただき、とても助かります。昨年までは、白戸さんという監査役がいて、私が講演に行くときよくついてきてくれて、話の途中でこうして消してくれていました。時によると、もう一回話そうかと思うと消えている(笑)そういうこともありました。まぁ、タイミングよく消していただくことが大切ですが、あるとき「白戸さん、あんた従来より消すタイミングが非常にうまくなったね」と言われて、「私、これを消さないと私が消されちゃうもんですから」(笑)。そんな冗談を言っていましたが、今日は阿部さんに消してもらっています。別に消しませんから、イスを持ってきてゆっくりお願いします。

 是非、実践、体験というものを大事にしていってほしいと思います。もちろん、備えているものは頭の学問も大事ですね。それがなくては、実践も生きませんね。ただの実践だけではいけません。また、学問だけでもだめですね。実践を通して裏付けをされた学問というものが、バランスが取れたときに本当にいいようになっていくと思います。

さて、急に話が変わるんですけども、いま、日本だけじゃないアメリカもヨーロッパも含めて、たくさんの会社が存在します。その会社の中で、人を幸せにしながら成長していく会社と、人を不幸にしながら膨張を続けていく企業もあります。
 残念ながら、人を不幸にしながら、ただ膨張だけをくり返していくという企業も多いです。そのために、世の中がどんどんどんどん荒れて、そして人と人との縁がなくなっていく。つまり、縁が薄くなるということはどういうことかというと、お互いの間が信用し合えない、ということになるんですね。
 深く信用していれば、縁は強い訳です。人と人との間の信用がなくなると、縁はどんどん薄くなっていく。それが、とうとう家族の間にまで「縁の希薄化」が進んでいる、というくらいひどい状態になってまいりました。
 つまり、人間が人間らしい心を失ってきた、そういうことですね。それが社会現象になってたくさん顕れていることは、もういちいち皆さんに申し上げなくても、毎日新聞を見れば、どんなにひどいことがいま日本だけでも起きているかがわかります。
 それが世界中だったら、どんなにひどいことが、どれほどの多さで起きているのかを考えますと、本当に心が痛みますね。
 どうしてこういうふうになってきたか。もちろん、原因はたくさんありますから、これだけ、とか、これさえ治せばいいということは断定できないんですけども、その中で、根治にとっては大きな要素で、しかも、治そうと思えば治すことができるというものを、今日、一つ取り上げてお話ししてみたいと思います。

 それは、「感謝の心」を育むこと。
 「感謝」というのは、物をもらったとか、そういうことだけをいうのではなく、全てのものに対する感謝の心、これを失ってきた。
 「感謝の心」ということで私がどういうことを言いたいかというと、過去への感謝、過去というのは自分の両親であり、私の両親はもう亡くなりましたけど、両親の両親、つまり先祖ですね。私が生まれたときには、もうおじいさんもおばあさんも亡くなっていて会えていないんです。しかし、そのまた代々が繋がってきて私の両親がいて、私が今日、ここに居る訳です。
 それだけではない。自然環境が人類を守ってきた。そのお陰でもありますが、そういう過去のいろいろな累積の上で今日がある、ということでの感謝の気持ち。これを失ってきたと思うんです。
 例えば、感謝の心を失った人はどういうことになるか、というと、未来への責任がもてない。過去への感謝と未来への責任とは一対になっていまして、自動車の両輪みたいなものです。どっちか片方ということはないんです。
 過去への感謝の気持ちを持っているのに、未来への責任の心がないという人はいないでしょう。未来への責任の心を持っているのに過去への感謝がないという人もいないのです。必ず、両方が揃っていないといけない、両立しているもの、そういうものなんですね。

 現代の人達には、まず、過去への感謝の心がありません。
 いま、私たちは非常に便利になりました。日本から見れば地球の反対側のブラジルやアルゼンチンといったところの情報も、何秒か後にはもう知ることができる、というくらい早くなりました。
 それから、昭和28年に私が名古屋から東京へ出てくるとき、名古屋−東京間が夜行列車で8時間かかったんです。それがいまや1時間40分位でしょうか、2時間足らずで移動できる。東京から福岡などというと、たしか17時間かかったように思います。鹿児島に行くときは28時間かかりました。もう一昼夜以上ですね。それが、いまや2時間足らずで行ってしまう。
 まさに地球が小さくなったという形容がうなずけるくらい、私達は便利になっているわけです。
 食べ物も、私達が毎日食べているものは、徳川時代のそこらの将軍でさえ食べていないような美味しいごちそうを毎日食べている。贅沢になりました。過去の人達が受けられなかったものを、全部いま私達が享受している。しかしそれは、いろんなことを積み重ね、様々なことが積み重なってできているわけです。そのことに対する感謝の気持ちを忘れている。

 今度は、ちょっと飛び越して、未来の、つまり次世代の、これから先長い間この地球で、もっと小さく言えばこの日本で暮らしていく人達へ、責任を持ってつないでいこうという気持ちにどう向き合うか。
 つまり、この日本がもっといい国になって、これから日本の国に生まれてくる人達が、日本に生まれてきて良かった、私達の先輩はとてもいい国にしてくれた、こういうふうに言われたいわけです。
 いま、このままの状態が続きますと、これから日本の国に生まれてくる人達がどう言うでしょうか。「何ということをしてくれた」「とんでもないことをしてくれた」と言われないでしょうか。
 例えば、私が小学校に上がってすぐに、太平洋戦争が始まりました。いまでも覚えておりますが、ラジオで「12月8日未明、我が帝国陸海軍は、太平洋上において米英と戦闘状態に入れり」と、繰り返し繰り返し放送していました。しかも、半年くらいは連戦連勝で、マレー沖でプリンス・オブ・ウェールズを撃沈した、シンガポールを陥落させたとか、もう勇ましい話ばっかりですね。
 その頃は、軍人や当時の総理大臣はじめ政治家も、みんな英雄でしたよ。ところが、それから僅か4年持たずに、何て事してくれたんだということになり、方々の国々からは悪の権化のように罵られ、とんでもないことになった。こういうふうになるんですね。

 これと同じように、今の日本の世相を見ると、未来の人から感謝されるような国とは言えないのではないでしょうか。このまんま私達は放って置いてはいけないと思います。
 やはり、自分たちのできることをやって、国を少しでも良くしていこうという考えでなければならない。それには、個人と社会と国家の目的が一緒にならなければいけない。自分だけの幸せのことを考えて、自分さえ良ければいいということで、社会がどうなっていても平気でいるようでは、だめですね。

 自分の好都合が、それが社会の好都合であり、また社会の好都合が国家に対する良いことでもある、というものでなければならない。
 ところが今はどうか。社会なんかどうでもいい、自分さえ良ければいい、というふうになっています。そういう人はどうしているかというと、過去への感謝と未来への責任がない人。今だけ、そして自分だけ良ければいい、というふうになる。

 これでは、非常に情けない。犬や猫だってこういう事はしない。
 私の家の庭には、何匹かの野良猫がきます。朝私が起きるころ、その気配を感じて雨戸に首を並べてエサをねだる。その猫が、家の植え込みの中で子供を産んだんですね。どうも赤ちゃんを産んだらしいということで、どのあたりなのかと植え込みを覗いてみると、その猫が植え込みの中から飛び上がって、こんなに大きい私を驚かそうとするんですね。つまり、自分の子供を守ろうとするために、猫でさえそうやって自分にできる精一杯の努力をします。
 そういうことからしますと、今、残念ながら今だけ良ければいい、自分だけ良ければいいという風潮は、何としても変えていかなければいけないと思います。

 私の家も、戦災で全部、もうリヤカーに1杯分だけの家財が残っただけで、あとすべて燃え尽くされたんですね。私の両親は、戦争によってずいぶん手痛い目に遭っていますが、しかしいま、そういうことについて補償すべきだという人も出てきました。いろんな考え方があるでしょうが、私はそれは情けない話だと思っています。それはもう、すでに過去に戻った話で、それより今から先を良くしていこう。過去の責任を誰かに問い正して、少しでも補償金をいただこうなどという、そういう考えではいけないと思うんですね。

 どうか皆さんの力で、この社会を良くするように努めてもらいたい。
しかしそれは、私たちのような凡人は、いっぺんに、そう大きく劇的に変えることはできないことです。
 まず、自分を中心にして直径3メートル。この範囲を、あるいは、半径3メートル、直径6メートルですね。この範囲を良くしていこう。
みんながそういう気持ちになってやっていくと、最初はあっちこっちなんですね。これとこれとは脈絡がない。 しかし、こういうふうになっていくと、この間はこんなふうになっていったから、こうしようじゃないか、というように重なりや関連ができてくるんですね。これが社会を大きく変えていく「元」なんです。

 日本を美しくする会の田中会長のお陰で、私の一個人の行動から、あるいはイエローハットという会社だけの行動であったものが、外に広まるようになった。
 しかし、外に広まるようになったとはいえ、一番最初はたしか35人だったですよね。わずか35人の人たちが、是非このいい活動を世の中に広めていこうと、日本中に散らばって、活動を始めました。日本中に散らばったって35人ですから、知れて
いるわけです。
でも、最初はここに一つ、こっちにひとつとまばらで、こちらとあちらの関係や連携はまったくないといった状況でした。ところが、それが2年経ち3年経ち、5年経ち10年と経ちますと、実際はもうじきこの会も20年経つ訳ですが、これだけの運動になる。

 しかも、日本だけではなしに、一番遠いブラジルのサンパウロまで運動が伝わっていく。何千人という人が、それも掃除なんかしたことのない人達、こういう人達が率先してホウキを持ち、道路掃除をしたりするようになった訳ですね。
 まぁ、日本でも掃除に対する偏見はたくさんありますけども、ブラジルでは、掃除というのは奴隷のやる仕事なんですね。一番能力のない人、社会的に一番底辺の人がやる仕事というふうに位置づけられている。ですから、掃除をするということは、非常に恥ずかしいこと、そういう習慣が根強くある訳です。
 その中で、最初は90人だけで始まった会ですけども、何と4回目には、是非これには政府も参加させて欲しいということになりまして、5,000人も6,000人も集まる会になりました。

 サンパウロの真ん中に、パウリスタ大通りがあります。日本で言えば銀座通りですね。このパウリスタ大通りに面したところで仕事をしているというのは、非常にハイクラスの人達なんです。
何故かというと、サンパウロというのは高低差がある街で、低いところは湿地帯ですから、「カ」が出たりしてとても人間として住みにくい劣悪な環境ということになり、そういうところに貧しい人達が住んでいます。そして、丘の上の高いところ、つまり害虫もこない非常に爽やかで暮らしやすいところに、お金持ちが住んだんです。なぜそんな小高い不便なところに住んだかというと、不便ですから、お金持ちじゃないと住めないんです。(笑)それがやがてパウリスタ大通りという地域になったわけです。
その人達、およそ人にやらせることがあっても自分はやらないという人達が、私達にもやらせてください。是非参加させてほしいと言い出して、実行するようになりました。これは、劇的なことなんです。
大きな習慣を変えることになりました。
それだけではありません。アメリカのニューヨークでも、小さい運動ですけど、ずっと毎年やって続いています。特に、一番近くでは、台湾ですね。
今年も5月に田中会長と一緒に行って参りましたが、それは素晴らしい運動になりました。もう、日本の状況をはるかに超えるくらい熱心な、しかも熱烈な取り組みとなってまいりました。
いま、中国でも一部小さな運動があっちこっちにできるようになりましたけども、もし、中国が真剣にこのことについて取り組むようになれば、大きく変わっていくと思います。

日本も、いま善意の人達だけで保っていますけれども、役所なり、政治家が、この活動を通して、登山家と同じ太陽が見られるような実践家になったら、日本の政治も行政も変わってくると思うんです。
残念ながら、日本の政治、行政に携わっている人達は、自分達だけロープウェイで登って骨を折らず、山の頂上に行って太陽だけ見ようという人達ばかりなんですね。
そのために、いくら太陽をみても、登山家と同じ太陽を見ることができないまま、歳月のみが過ぎている、そんなふうに思います。

私は、50代に入ってから「槍ヶ岳」に2度登りました。
新田次郎の本を、ズーと読んでいるうちに「栄光の岸壁」から始めて「孤高の人」だとか「槍ヶ岳開山」といった登山に関する本をいろいろと読み耽りました。
そして、ヨーロッパのスイスなどに聳えるアルプスの山々にまでは行かれないが、せめて日本で、神々しい山に登ってみたい、そう思ったときに、「槍ヶ岳」に是非行こうと思ったんですね。
夜、仕事が終わって、夜中の1時ころに東京を出て、上高地に着いたときにはもう明け方でしたね。登山シーズンはもう終わった10月で、それから以降は、本当は専門家でなければ登るのは難しいというそういう時期に3人で行って登りました。
最初は調子よく進みましたね。地図を見ると1時間と書いてあるのに45分で通過できている。次も1時間と書いてあるのに、40分で着ちゃったという具合で、これだったら、すぐに登り切れるのではと思ってしまいましたが、とんでもない。途中からどんどん息が苦しくなる。頭が痛くなる。一歩歩くごとに、ハァ、ハァと激しい息づかいとなり、肩で息をするようになる。
とうとう槍ヶ岳山荘の小屋が目の前に現れたときには、もう這って歩くようになる。とても立ち上がっては歩けない、というようになりました。
山小屋には鏡がないから、私は分からなかったのですが、顔がこんなに膨れあがっていたんですね。下に降りてきてからドライブインで鏡を見て初めて、自分の顔がこんなになっているということを知ったんです。その時の同行者は、私の顔を見てさぞかしおかしいと思ったでしょうが、一言も言わなかったですね。
それにしても、骨を折って槍ヶ岳の頂上を極め、南岳から奥穂高、ズーと穂高連峰を縦走して戻ってきたときには、本当に満足感に浸れました。そして、あんなに苦しい思いをしたのに、もう1回行こうと思って2度登りました。3度目は行けなかったですね。それくらい、苦しい登山(やま)です。
でも、苦しければ苦しいほど、辛ければ辛いほどその結果に価値がある。意味がある。いまでも、あのとき、槍ヶ岳の頂上で太陽が昇ってくるのを、寒さをこらえながら見続けてきたあの光景は、死ぬまで私の脳裏から消えることはないだろうと思いますね。

皆さんに、今日の最後の言葉としてお贈りします。

(板書)『努力の見返りは、成果ではない。人間的な成長である。』

努力をすると、人は必ず見返りとして何か形のある成果が欲しくなるんですよね。それが手に入らないと、あぁ、この努力は無駄だった。あんなに一生懸命にやったのに無駄になった、こういうふうに思うんですけども、無駄にはなっていない。
努力をした結果、その見返りとして与えられるのは、人間的な成長です。努力をしたことは、決して無駄にはならない。
例えば、一生懸命勉強したのに、試験の結果は悪かった。自分の勉強したところが出なかった。そうすると、今まで勉強してきたことが無駄だった。こういうふうに思いがちですが、とんでもないことです。その時は得られなかったが、やがてそののち、そののちに、自分の身の上で生きてくる。つくづくそう思います。

私も、実は小学校の5年生まではとんでもない少年でした。もう、世の中に学校がなければいいな、学校さえなければ天国だ、というくらいの学校嫌いで、当然勉強も嫌いで、遊んでばかりいたんです。
それが、6年生の時から勤勉になり、そして親の……
今度は勉強したくても勉強する時間がない、という状況のまま10代を終えることになりました。
 でも結果的に自分の努力によって、だらしがなかった、いくじがない怠惰であった私が、努力の結果勤勉になれる。そして、どんなに苦しくてもそれに耐えていくことができる。そんなふうになれること、それが、私に対する努力の見返りなのかな、と思っています。
 皆さん方も、自らの努力が自分の人間的成長になり、そしてそれが社会のためになり、かつ、国家のためになる、そんなふうになって欲しいと思っています。

 「時価総額」という言葉があります。会社で使う言葉です。
 分かり易く言うと、一株当たりの金額×発行済株式数=会社の時価総額というわけですが、その会社の業績や実力、将来の成長に対する期待度などの目安ともなるものです。
 しかし、会社だけではなく、個人にも時価総額がある。家庭にも、社会にも国家にも、地球の時価総額もある。いま、これがすべて、個人も家庭も会社も、どんどんどんどん落ちてきている。
 特に私が懸念するのは、地球の時価総額が本当に減ってきている。
どうしてか。皆さんお分かりのように、わずか数10年前は、アメリカのテキサス州に入ると、ひとりでに石油が噴き出していました。それがいまや、深いところまで掘らないと、しかも強制的に汲み上げないと出てこないようになりましたね。陸上では無理になって、今度は海底のものを掘り出す。
温泉だって、かつて出ていたものが出なくなり、また深い井戸を掘って汲み上げて、それも足りない。地下水もそうです。何万年の間に溜められた地下水を、どんどん汲み上げて使って、地盤沈下してしまったとか、畑を化学肥料を使って作物を作りに作り抜いた挙げ句、土地が荒れてしまって、収穫量が激減するというふうに、一つひとつ挙げていくと、地球の時価総額そのものがどんどん低下している。
これ以上低下させたら、次の時代に生まれてくる人達は大変なことになる。そんな懸念をいたしております。

そこで、私たちは、何とかこの地球をキレイにして、将来この国、あるいは地球上に生まれてくる人達が喜べるような、そういう環境を創るように努力していきたいと思います。

今日は、小さい話から急に大きい話になってしまいましたけど、是非、そういう考え方で皆さんに取り組んでいただきたいと思います。

今日はどうも ありがとうございました。

ページトップへ


鍵山相談役講話録 トップページ

日本を美しくする会 山形掃除に学ぶ会 事務局
黒沼共同会計事務所
http://kuronuma-ac.jp/souji/
souji@kuronuma-ac.jp